『游』


私の机の右壁面には「游極芸」としたためられた三文字扁額が掛かっている。芸たるものは遊びを極めてこそと述べたものである。クルマのハンドルに遊びが無ければ、疲れてしまい、長距離運転なんて絶対に無理なのはご存じの通りである。そもそも遊びには「遊」と「游」がある。「游」には単なる「遊」に対して、大きな海、川を超えて、異国へ気ままに過ごすならば、風景の色、環境の違い、生活や習慣の匂いの違いを知って、初めて自分を見つめる機会となることは多い。それが「可愛い子には旅をさせよ」となる。

浮世絵師東洲斎写楽(葛飾北斎)は生涯93回も引っ越しをしている。ベートーベンも同じ1800年代という激動の時代に80数回引っ越しをしている。引っ越し魔と芸術家としての鮮烈な業績は無関係とは思えない。 そして扁額の文字を「『游極』芸」と括って見ると、もっと深い解釈が出来るのである。実は『游極』とは建物の背骨『梁』の事である。それは長年月に耐える建築の最も大切な部位であることは言うまでも無い。昔の建築は現代の建築のように柱や梁を綺麗に四角に切ったものを釘で打つなどあり得なかった。捻れたり、曲がった材を使って、それら一本ずつが年月と共に勝手気ままに曲がり放題に動き回るが、その動きを予想して打ち消して相殺させたり、大工の名人は予想屋のように将来へピタリと照準を合わせて完成させるのである。

2枚の写真を見て欲しい。これは吉備津神社の東にある「はなぐり塚」のある福田海の境内にある「長床」である。神楽も奉納していたと思われる。柱間には板戸も無く吹きさらしであるのに、凄く頑丈に出来ており、歪みや狂いが一切無い。

『游極』の言葉通り、ふんだんに曲がった太い松材を何本も繋いで、端から端まで『梁』を通している。そして梁は沢山の曲がった松材を組んで、どんなに組木が暴れようとも、全体では年月が経って、将来にわたってプラスマイナスゼロになるように棟梁が頭の中で配置を考えて、采配を揮ったものと思われる。 芸術家たるもの、迎合する事なかれ、小手先の美しさより、後世の人々をもうならせるもの、奮い立たせるものを創って欲しい。ひたすら「游」をした写楽やベートーベンのように。

備前焼ミュージアム
館長 臼井洋輔

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