[:ja]「知足と芸術」 [:en]“Satisfied in knowing” and Art[:]

知足 と 芸術

足るを知る という教えは古代道教の教義に登場する言葉で、文字通り「欲を捨てて現状を受け容れる生き方」を是とします。ところが最近、「身の丈に合わせて」と発言した政治家が平等の原則に反するとして糾弾され撤回と謝罪に追い込まれました。さて、「知足と平等」一見どちらも正しいと思える考えが実は矛盾していると言うわけです。

禅宗では道教の影響を大きく受けながら知足の解釈を一歩進めて「自らの中に既にある仏を見いだすこと」を足るを知ることと教えます。つまり「誰もが本来 仏である=平等」ということになります。見方を変えれば随分変わるものですね。

芸術とは判り難いものだというご意見をよく耳にします。さて、どこがどう解らないのでしょう?今まで見たことがない、とか何を意味しているのか?といったところでしょうか。

さて、みなさんも経験がおありかと思いますが、私が子どもの頃、数学の課題が解けず頭が重くなったものです。でも、いろんな方向から考えているうちに「ハッ!と閃いて」問題が解けた瞬間があったのではないでしょうか。

これは、脳内でシナプスが繋がり脳力が拡大した瞬間であり、同時に大きな快感が伴います。この快感こそが人間の生命維持に必要なものだと思います。

芸術も同じことと考えたらどうでしょうか!作家という他者の感性に触れているうちに自らの感性が豊かに現れてくる」

その瞬間こそが「足るを知る」ということなのかもしれません。

この「曹源寺美術展 知足」で紹介する作家は皆、日本的な思想と日本語の生活の中で制作しています。言わばコンピュータのOS(基本ソフト)が同じなら理解しやすいのと同じと考えて良いと思います。それに対して海外作家の場合はOSのちがい、つまり思想のちがいを理解することが必須でハードルが高く「解らない度」が増すこととなります。複数のOSを超えて楽しむ為には、言語、文化、民族の枠を超えて理解を広めることが求められる訳ですが、そのためにも我々自身の歴史や文化そして哲学を確認しながら鑑賞して頂ければすべての道に繋がる近道なのではないでしょうか。

企画担当 近重博義